第1話 =ハーモニカ吹きマット=

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South Kensington 駅 ピッチ2

BGM 「Hoochie Coochie Man」by Sugar Blue

 

バスキングがライセンス制度になった当初からやっているハーモニカ吹きのおじさんがいる。

言っちゃ悪いが彼は精神病の気があり、普段交代時に会っても挨拶もせず、ずっとこちらを睨んでいたりする。病気なのだからしょうがないと思い諦めているが、まだこっちの終了時間前なのに自分の機材のセッティングを始めたり、中途半端な時間に来てずっと横に立っていたりして迷惑な時もある。身体が大きく強面なので、なおさら話しづらく仲間内でも嫌われもの的存在だ。今では誰も声を掛けないし半ば無視されている。

しかし僕はある話を聞いてからこのおじさんに対する態度をあらためた。

そういう病気の人でも、心の奥では優しくされた事や楽しかった事がわかっているらしい。ただそれを表面的に顔や態度で表せないだけなのだそうだ。そしてその症状を柔らげるには、こちらから挨拶してあげたり(反応がなくとも)、優しい言葉を掛け続けたりすることが大事らしい。

ここ最近交代時に彼に会う事が多いので、彼が聞いているいないに関わらず僕は話し掛けた。「どこに住んでいるんだい?」とか「今日は儲かったかい?」とか、たわいない挨拶程度のものだったが、彼は相変わらず僕を睨み続ける。そしてその顔はまるで敵意を持っているかのごとく醜く歪んでいた。

話は変わるが、バスキングをしているといつも僕に声をかけてくれる常連さんがいる。「寒くないかい?」とか、「今日も頑張ってるねえ」とか、一言だけで通り過ぎていくのだが、それでも孤独にギターを弾いている僕の心には、そのありがたさが染みてくる。それと同じ事だ。彼も心の中では僕の掛けた声に反応してくれているに違いない。そう信じて僕は毎回彼に声を掛け続けた。

今日も僕の後に彼が現れた。

交代時間の10分も前なのに横でふて腐れた態度でこちらを睨んでいる。「やあ、今日も会ったねえ。駅長室にサインしに行ったのかい? 僕はここで待ってるから、とりあえず駅長に挨拶してきたら?」と言っても相変わらず返事もしない。訳のわからない独り言をぶつぶつ吐き捨てるように呟いている。僕の方も「なんだよ、こっちが下手に出てやってるのに失礼なやつだ。やっぱ精神病だからしょうがねえか…」と諦めモードに入った。

結局僕が待っていてあげてたのに(ピッチが空いていると他のバスカーに横取りされる事があるので)20分も帰ってこなかった。いいかげん頭にきて後片付けしエスカレーターに飛び乗った。

すると反対側の下りエスカレーターから彼が降りてくるのが見えた。何か一言「遅いじゃねえかよっ!」と愚痴の一つでも言いたかったのだが思いなおし、気持を鎮めて「Good luck !」と小さく声を掛けた。

下りと上りのエスカレーターで彼と僕が交差した。

彼が振り返った。

そして初めて「Thank you」と微笑んだ。

 

ー後日談ー
去年、肺がんで亡くなった同僚バスカーの葬式があったのだが、彼が参列していてびっくりした。案外優しい心の持ち主なのかもしれない。



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