第26話 =剃刀バイオリン=

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本日は久々に寒さがぶり返してきた。

12月も後半、凍えるようなピカデリーサーカス駅でのバスキングを終了し帰りの乗り換え駅でのこと。下りのエスカレーターに乗るとバイオリンの音色が聴こえてきた。

「おかしいなあ? 確かこの駅にはバスキングピッチが無かったはずだが…。」どうもイリーガル(無許可)のバスカーがエスカレーターの下にいるみたいだ。

「せっかくライセンス制になって駅員達とも仲良くやってるのに、あんまり波風の立つような事はしてほしくないなあ。スポンサーとかと揉めたら地下鉄のバスキングシステム自体が撤廃されてしまうかもしれない。困った人もいるもんだ」なんて思いながら降りていった。

バイオリンの音色がだんだん大きくなってきた。

僕の耳が反応した。「な、なんだ、この壮絶な音色は…」

人間わざとは思えない高速フレーズ、悪魔が乗り移ったようなビブラート、そしてこの凍るような寒さだ。これは尋常ではない。エスカレーターの真下にバイオリンを弾いている女性が見えてきた。

年齢は30才くらいだろうか、北欧系の凛とした顔だちで細身、栗色の髪を振り乱しているのが見える。この寒いのにノースリーブの黒いワンピース一枚、オーケストラとかの演奏者がステージで着てるような衣装だ。そして鬼気迫る形相で思いつめたように一点を見つめ、物凄いスピードで弓を引いている。

彼女は今イリーガルのバスキングを強行している。なにかの理由でライセンスが取れないのか、不法滞在なのか理由はわからないが、最近取り締まりが厳しくなっているので、捕まったら罰金刑か強制送還させられるかもしれない。とにかく、よっぽどの事情がなければ彼女も無許可でバスキングはしないだろう。

通行人もこの尋常ではない演奏に触発されてか、ほとんどの人がお金を投げ込んでいる。彼女も自分がイリーガルでやってるのを意識してるのだろう、お金が入っているバイオリンケースを自分の目の前のエスカレーターの手すりの横に置き、いつでも持って逃げれる体勢をとっている。凄い緊張感だ。僕もいくらかの小銭を投げ込んだ。その時、彼女の後ろにコートがたたんで置いてあるのが見えた。

彼女は、わざとコートを脱いで演奏しているのだ。

元々、北欧のどこかの国の交響楽団の一員だったのかもしれない。並外れた演奏テクニックがそれを物語っている。そして、今着ている黒いノースリーブはその時のステージ衣装だったのかもしれない。彼女は自身のプライドからなのか、気合いを入れる為なのか、この深夜の極寒の地下鉄の中、薄手のステージ衣装で全力を振り絞って、震えながらバイオリンを弾いているのだ。

テクニックがどうのこうのといったレベルはとうに超えている。もうイリーガルだとかリーガルだとか、そんな事もどうでもいい。

あたり一面、狂気と悲愴の空間に塗り潰されていた。彼女の剃刀のような音色が僕の身体を削ぐ。僕は歯を食いしばって彼女の前を通り過ぎた。

前が見えない。なぜか僕の目から涙が滝のように落ち、止まらない。

本当に止まらないのだ…。



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